人と地域のWEBマガジン ISHIKAWA DRAWER

Kaichiro KazumaRepresentative director of sake brewery

数馬嘉一郎数馬酒造 五代目蔵元

やとう。はたらく。つくる。能登のために、ひとつずつ。

Person

#01

2016.03.31

結構ガリガリな東京時代。

幼稚園の時の夢は「酒蔵の社長」でした。でも、男くさい、お堅いイメージがあって。経営者になりたいとは思っていましたが、継ぐ気はなくて。高校を出た後は、東京の大学に進学しました。東京には何となく憧れもあったし、父親に「広い世界を知っておけ」と言われたのもあって。学生の頃は、東京は楽しいし、何でもあるしで能登には帰りたくないなと思ってました。こっちだと極端な話ですが、車のナンバーで誰か分かってしまうし、いつ誰が何を見てるか分からない。東京では何も気にせず、したいことができる。そういった意味で楽しめましたね。

卒業後はコンサルティングのベンチャー企業に就職しました。1年目は営業です。100件飛び込み、200件テレアポという感じで、結構ガリガリにやってました。入社8ヶ月後にグループ会社が関東で店舗を出すことになり、その立ち上げメンバーとして移って。毎日4時間くらいの睡眠で、休みも月に1、2回。でも、昨日できなかったことが今日できるようになっているとか、ひとつずつ成長していく実感があって面白かった。社会人になり2年ほど経った時に、父親に「そろそろ手伝わんか」と言われて。そういう時期かなとしっくり来たので能登に戻りました。

※ガリガリ…夢中で行動するさま。

数馬酒造の社屋から宇出津港をのぞむ。穏やかな、優しい気持ちになれる海。

「社長って何?」からの社長生活。

戻っては来たけれど、東京とのギャップがすごくて。働き方も、前職はガリガリの営業だったけど、こっちは来たものに対して何かをする感じ。やりがいを見つけられず、隠れてワンピースを読んだりもしました。でも、やる気のないときに何をやってもダメだなって。母親にも「後々の何十年にとって大事な時期だから、そっとしておいてほしい」と理解してもらって。

 

社長になったのは、4ヶ月ほど経ってから。でも、何をすればいいのか分からなくて、社長は何してるんだろうから入りました。父親に聞こうにも、信用金庫の理事長就任が決まって、そちらにつきっきりだったので聞けなかった。本を読んだり、人伝いに経営者の方と会って「社長って何をするんですか」と聞いたり。もう何もかも足りな過ぎて、一個一個やっていたら寿命が来てしまう。できないことはできる人にお願いしようと、いろんな人を探し始めました。業種は問わず、いろんな会に飛び込んで。もう、当時日本で一番若い酒蔵の社長だったので、それを武器に「応援してください」って。本当、助けてください状態なんですよ。何していいか分からないし、やってることが合ってるかも分からないし。会いたい方がいるから、20代禁止の会にも行きました。帰ってくれとは言われましたけど。毎月通ううちに「20代はダメっていう規定がおかしいよね」みたいな感じになりましたね。

※ワンピース…少年漫画。主人公はルフィ。

悩み悩んでできたもの。

手紙も書きました。県外で活躍している石川県出身の経営者に手紙を出して、反応があると電話をして。その中で出会いがあり、2年半、その人のもとに毎月出向いて経営をみっちり教えてもらいました。一番心に残っている言葉は「当たり前のことをやっていれば大丈夫」。子供の時に、最初に親から習うことをやれと。嘘をつかないとか、自分がされて嫌なことはするなとか。誰であっても、どんな状態であってもやれと、それができていれば、経営がうまくいくと教わりました。酒造りに関わるかどうかも悩みましたが、師匠は「絶対経営者でいろ」と。酒造りは半年くらい取られるので、1年間必死に経営をやっている人と戦っていけないですよね。
 
一時期、勘違いしていたこともありました。パーティーに出る機会が増え、そんな自分がいいみたいな。浮ついて、目の前の仕事が手につかなかった。そうしたらその師匠が電話にも出なくなって。「分からないことが聞けない!」と、悩んでハゲたこともありました。調子に乗るとすぐ経営に現れるもので、3ヶ月分の成績が思うように伸ばせなくて。社員さんが一生懸命働いているのに申し訳なかった。あれは、戒めの3ヶ月でした。ハゲたし。師匠とは今でも付き合いがあって、昔はただ聞いているだけだったのが、自分の意見も盛り込んで報告してます。言えるようになってきた、という感じですかね。

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Eat

Coast Table鳳珠郡穴水町中居南2-107080-1966-1761

Field

数馬酒造鳳珠郡能登町字宇出津へ-36