人と地域のWEBマガジン ISHIKAWA DRAWER

Keigo KamideCreative director of Kutani pottery

上出惠悟上出長右衛門窯クリエイティブディレクター

多様性×可能性。広大無辺の九谷焼。

Person

#02

2016.05.18

お茶碗、デザイン、油画、変遷。

小さい時は、お茶碗屋さんとかおもちゃ屋さんになりたいって書いていて。漠然と継ぐ意識はあったと思うんですけど、それに向けて何かしようっていうのは全然なくて。とにかく絵が好きで、そのほかはからっきしダメだった。絵を描いてる時が一番楽しいっていうか。それを生かすほかはないっていう。まぁ、分かりやすいですよね。何でもできちゃうと逆に、進路決めるって難しいと思うし。それで、県工のデザイン科に行くことになって。県工は工芸科もあるので焼き物をやろうと思えばそっちに行ったと思うし、家族も行かせてたんだと思うんですけど、それは考えもしなかった。カラス口やレタリングをやるうちに、自然と広告が好きになって。

 

県工は就職率が異様に高い高校なんですけど、僕は大学に行きたいと思っていて。高3の夏休みに東京の予備校に行ってデザイン科の授業を受けるわけですけど、最後の1週間で先端技術表現学科っていうのがあって。教授には日比野克彦さんとか川俣正さんとか、その道の有名な方が名を連ねていて。その科は油絵とか彫刻とかいろんな人が集まっていて、結構世界が広がった。せっかくの東京だったので美術館とか色々行くと、今までやってきたことがちょっと違うなと思い始めて、秋に進路変更しました。自分は油画をやってみたいなと。高校の先生や画塾の先生も油画科の先生で、身近だったのもあったりして。でも、ちょっと遅くって。それで一浪して、東京の芸大に行きました。

 

※県工:石川県立工業高校。日本で最も歴史のある工業高校なんですって!
※カラス口:製図用の特殊なペン。
※日比野克彦さん:現代美術家。東京芸術大学教授。
※川俣正さん:芸術家。元東京芸術大学教授。現在、フランス国立高等美術学校教授。

惑い迷ったフレッシュマン。

芸大って、出題者によって毎年学生の質が変わると言ってもいい。そういう学校だったんで、教授も考え方が結構バラバラで。基本、油画科の教授って教育者というよりも作家なんで、絵を描いていると「何でお前は絵を描くんだ、もっと外に出ろ」っていう先生と「何でもっと絵を描かないんだ」っていう先生がいて、それに惑わされて。予備校では「静物を描け」とか具体的な出題があったんですけど、大学に入って一番最初の出題が「環境と身体をテーマに表現せよ」で。僕は課題にどう応えるかっていうのが楽しかったんですけど、その出題は広すぎるなと思って、環境とか身体って何だろう?って思っちゃって。

 

非常に自由な課題なんですけど、僕は逆に自由さを奪われてしまって。みんな自由にいろいろやっているけど、何でそんなことができるんだろうみたいな。そこに行き着く自分の何かが足りないっていうか、それが何で自分の表現なのかが分かんなくって、完全に野に放たれた感じで何もできなくなってしまい。今まで好きだから絵を描いてたのに、何で描くんだと言われると「何でだっけ?」ってなっちゃって。表現をするのに理由がいるんだというのが分かったっていうか、表現というものに対してすごい浅かったので、迷ってしまって。それまでやってきたデザインは、何か問題があって、それを解決するものだった。でも、「表現せよ」と言われて、これまで表現してきたわけじゃないというのが分かって。それで、とにかくいろんな人の話が聞きたいなと思って。それがちょうど9.11が起きた年で、どっちが正しいんだ、何が正義なんだろうみたいな。まず社会が分かんなくなっちゃって。自分はどっちのスタンスでいるべきなんだろう、そういう仕組みとかが分かんないと表現なんてできないなと思っていました。

※9.11:2001年9月11日に発生した、アメリカ同時多発テロ事件の総称。

 

Face to 自分の制作。

ちょうどその頃、川俣正先生が水戸で開く個展のスタッフを募集していたので名乗りを上げ、ボランティアスタッフとして美術館でずっと寝泊りしながらお手伝いをしていました。川俣さんの周りの人たちが遊びに来て、一線で活躍されてる方にも会えたり。その後もお手伝いを続けていて、先生がトーク企画をする時に出演交渉をしたり、録音して、文字に起こしてアーカイブにしたりとか。スタッフとして聞いているんですけど、文字起こしをすると理解度が全然違って、それがすごく楽しくて。学校の課題とか全然しなくって。でもしないと進学できないので、前日に東急ハンズでキャンバスとかを買い、徹夜でペンギンを描いて、次の日に出して適当に喋って。先生には理解されなかったけど、でも進級させてくれて。

 

その後、櫃田さんという結構有名な先生が愛知の方からいらして担任になって。櫃田先生は教育熱心で「上出は何をやっている。こんなもので進学させられるか。100枚ドローイング描いてこい」って。それまで僕は人の話を聞いて楽しんで、搬入のお手伝いをしたりだとか、どちらかというと就職しようと思ってたので、自分の制作に関してまったく向き合ってこなかった。けれど、やっぱり一回ちゃんと向き合おうと。美大生にとって卒業制作は就職活動より重要なテーマなので、それを今まで通りふわっとやって卒業するのってすごく逃げっていうか。芸大を出ている九谷の作家ってあんまりいなくって、「東京芸大に入ったぞ」って、親もそうだし、祖父とか家族みんなが喜んでくれて。それで、このまま卒業するのが申し訳ないっていうか、自分なりに落とし前をつけてから卒業したいと思って。それにはちょっと時間が必要だと思って一年休学しました。

 

※櫃田さん:画家であり、東京芸術大学元教授の櫃田伸也(ひつだ・のぶや)さん。奈良美智さんも指導されました。

表現をするためには。

休学と同時にアルバイトってものをしてみたいと思って。でも何分引っ込み思案で、どうしていいか分からない。近所にすごいおいしいケーキ屋さんがあって「ここでバイトしたい」なって。ショートケーキが大好きでよく買ってたんですけど、どこを見渡してもアルバイト募集の張り紙がなくって、張り紙もないのにアルバイトしたいですなんて言えない。4月の10日くらいから新学期が始まるんで、同級生に遅れをとりたくないなと思っていたら、7日くらいに知り合いから電話があって「銀座に資生堂の施設ができるんだけど明日から働かない?」って言われて、「やります」って。ギリギリ同級生に遅れを取らずスタートできました。超他力本願。

 

※資生堂の施設:資生堂が2004~11年に運営していた文化発信施設「HOUSE OF SHISEIDO」です。

 

でも実は、この施設ができるのは前から知っていて、とても興味があって。まさか自分が働けるなんてとうれしく感じながら「やっぱり資生堂ってすてき」とか思ってたんですけど、いざ自分の制作に立ち向かってみると意外と面白くって。資生堂で半分働きながら半分こっちに戻るという半々の生活をしてきて、自分のルーツや九谷焼について知りたいなっていう気持ちが少しずつ強くなってきた。やっぱり一度自分を整理したいというか、自分が何者なのかっていうところを明らかにしないと表現というものはできないんじゃないかと思って。

 

休学している間に、母方の実家も九谷焼をやっているんですが、ギャラリーを立ち上げようとしている叔父のホームページを作ったりとか、食とアートをテーマに活動している同級生たちを呼んで、食器に料理を盛ってレシピを公開したりしてました。ちょうどその年に金沢21世紀美術館がオープンして、結構仲間たちが石川に来てくれて。その時にうちに泊まってもらって、実際に九谷焼を見てもらって。自分は小さい時から囲まれて育ってきて、当たり前のものとして存在していたので客観的に見るっていうことがあまりできなかったんですけど、仲間の目を通して、実家のものというか作品が何となく見えてきて。自分はいいなと思っていても、人はそうではないかもしれないと思ってたんですけど、かわいいねと言ってくれたので、「やっぱりいいものなんだ」という気持ちがちょっとずつ芽生えてきました。

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上出長右衛門窯〒923-1123 石川県能美市吉光町ホ650761-57-3344