人と地域のWEBマガジン ISHIKAWA DRAWER

Mari Kitagawasenior consultant

北川真理株式会社計画情報研究所 主任研究員

住みたい、測りたい、伝えたい。思いがあるから道は開ける。

Person

#06

2017.05.31

ディスプレイににじみ出る企業色。

もともと、計画情報研究所の存在を知っていたわけではありませんでした。
就職活動をしていた当時、イタリアのネットカフェで「都市計画」「コンサルタント」のキーワードで探したのですが、検索してもなかなか上がってこなくて。でも、母親が私に帰ってきてほしいもんだから、日本中の建設コンサルタント企業情報を集めた分厚い本をイタリアまで送ってくれまして、そこから石川にある会社を探してネットで調べているうちに計画情報研究所がヒットした、という感じです。都市計画というソフトの部分に携わる県内の企業はほかにもありましたが、ホームページの言葉遣いなどを見ていて「ここだ。ここしかない」と気持ちが固まり、試験を受けに一時帰国しました。

開放感のあるオフィス。ここからいろんなアイデアが生まれていきます。

会議室から炎天下、シンポジウムから力仕事まで。

計画情報研究所の業務内容はひと言でお伝えするのは難しいのですが、地域の課題を解決する主体となっている人の支援を行っています。大きなマスタープランや街の方向性を決めるお手伝いをすることもあれば、教育や交通計画、福祉計画を一緒に立てることも。打ち立てた計画を実現化していくためにシンポジウムを開いたり、地元の人との勉強会をしたり、販売促進のイベントを開くなど、本当にもう、何でもありです。力仕事もいっぱいありますよ。床の板をはがして芝生シートをはったり、真夏の千里浜で炎天下のもと、しゃがんでキャンドルを延々設置したり。
学校の授業にも関わったことがあります。モビリティ・マネジメント教育という、個々の移動手段や社会全体の交通を「人や社会、環境にやさしい」という観点で見直し、良くしていくために自分たちが何をできるかを考えていく教育活動です。自家用車だけじゃなく、公共交通や徒歩など、いろんな動き方や乗り物の使い方ができる子どもたちを育てることを目的に、学校の先生と何回も会議を開いて学習プログラムを作りました。普段学校の先生に接する機会がないので、どのようにプログラムを組み立てるかとか、どんなことをポイントに授業をするのかというのを聞くのが新鮮で楽しかったですね。当時は国内に同様の事例があまりなく、手探りで進めるしかなかったのですが、おかげで日本モビリティ・マネジメント会議のプロジェクト賞という賞をいただくこともできましたし、その時点で金沢を、小学生を対象とした交通行動の改善を促す活動の先進地にするサポートができたと思います。教材DVDも作りました。脚本を書いて、劇団の人に演じていただいて。自分の書いた脚本がプロの手にかかるとこんな風になるんだ!と感動しました。

バスもひとつの商品。

案件は年に8本くらい進めています。勤めて10年経っているので、もう80本くらいは担当したことになりますね。入社1年目から関わったのが内灘のコミュニティバス“ナディ”。「北川さんは内灘出身だし、やったらいいんじゃない?」ということで、野々市ののっティを計画した先輩と一緒に取り組みました。バスもひとつの商品みたいなものなので、どういうコンセプトで、どういうターゲットに、何のために走らせるのかということをはっきりさせることが大事です。みんながたくさん行く場所には通るようにしましょうとか、これは公共独特の考え方なのですが、今バスが通っていないから走らせましょうとか。たとえば高齢者をターゲットにするんだったら、高齢者がどのあたりに住んでいるか、どういった場所に行くか、今あるバスはどこを走っているかといった現況を調査して。その上で、どれくらいの運行頻度にするか、どういうルートでバス停をどこに設けるかなどを、町の人だけでなく県や警察の方も交え、会議や打ち合わせをして決めていきました。打ち合わせといっても、私たちの世界は「どうしましょう」ではダメなんです。そんなに頻繁に集まれるわけでもないので、ある程度「こうです」っていう形を提示しなくてはいけない。運行ダイヤ例を作って電車との接続を調査したり、国内でうまくいっている事例を挙げて、その理由を話したり。運行してからも検証を行い、問題があれば改善に向けた提案もしています。
この仕事のおかげで、久しぶりに内灘に行くことができました。ルートを作る際には、役場の方と「あそこの角を曲がる」「あーっそれいいですね~」とすっごいマニアックなやり取りをしたのを覚えています。今の役場からは昔住んでいた場所が見えるんですが、打ち合わせ中ずっと外を見ていたので、先輩からは「北川さんは外ばっかり見てるね」って言われたこともありましたね(笑)。

※のっティ:野々市市のコミュニティバスの名称かつ、同市の公式キャラクター。のっティは、いつの間にか野々市に住み着いていた不思議な生き物だそうです。

内灘町役場の停車場でナディとパチリ。停車中なのでご安心ください。

I♡UCHINADA.

もう、内灘LOVE♡なんです。空が青くて、海が見えて、河北潟があって。町の人もあっけらかーんとしていて開放的なんですね。ちょっときつい感じの漁師町らしい気質もあって。内灘って、地図で見るとちょっと島国なんですよね。“きゅっ”としている。同族意識もすごいあって、町の中の人にも、河北郡の中でも旧河北郡の中の人にもある。この間も宇ノ気の人と出会って「私宇ノ気!」「私内灘!」って喜び合っていました。宇ノ気や高松、津幡って、“きゅっ”て感じがします。お金をもらっている以上、どの仕事もどの地域も大事なんですが、内灘は独特な開放感とか、自分のテリトリーみたいな感覚がすごくうれしかった。打ち合わせに行くと元気になるっていうか。

海鳴りにカエル、アカシア。そして貝。

寝る時に海鳴りの音を聞いたり、カエルの声を聞いたり、アカシアの花のにおいをかいだり…っていうのが原風景。子どもの頃は毎日のように海に行っていました。親と一緒に行ったり、ペットが貝だったり。貝って、深いところにいるんですよ。砂に足を入れてくりくりーってすると取れる。それをバケツに入れて、ベランダで飼うんです。まぁ、別に動きはないんでそのままなんですけど(笑)。で、一週間経って海に行く時に遠投して、きちんと海に返すということを繰り返していました。貝って特徴がない分、ずっとペットなんです。個別のキャラが立っていると「あ、違う子が来た」となるけど、そうじゃなくてみんな同じみたいな。貝という種を飼っているような。そういうのが好きでした。でも、ある日夜に「チン♪」て音がしたんです。あれ?っと思って。何かおかしいなって思って朝起きて貝を見たらいないんですよ。親に聞いたら「酒蒸しにした」って言って。自分が親になってみて思うんですけど、よくもまぁ、子どものペットを食べるなと(笑)。すごくショックを受けて、そのせいか今でも貝のお味噌汁を作れないんです。うちの子貝大好きなのに。

役場の展望ラウンジにて。右側の茶色い建物がある場所に、かつての北川家があったそうです。すごいオーシャンビュー!

海で生まれ、そして海に還る。

内灘の人は、本当によく海に行くと思います。内灘にいる友達も、保育所が終わったら子どもを海に連れて行くって聞きますし。子どもの頃は自転車に乗って海に行きました。坂が急なので、自転車で海に向かってがーーっって突っ込んでいくような。グーニーズとかスタンド・バイ・ミーに出てくる登場人物の気持ちでした。防風林や防砂林のアカシア林も大好きで。結構町を遊び倒した感じです。すごい好き。
出産のときも、すごい陣痛が苦しくて長くて。その時にぱっと頭に浮かんだのが、内灘の海だったんです。私の根底にはやっぱり海があるんだなって思うし、私は医科大で生まれたんですけど、死ぬ時もまた医科大で…医科大じゃなくても、海の見えるところで死にたいなぁって、ちっちゃい頃から思っていました。
私が生まれたのは夕方だったんですが、その時の海の写真がアルバムに貼ってあって、これを見ながら私は死ぬのかなって思ってました。それだったら怖くないかなぁって。

※グーニーズとかスタンド・バイ・ミー:いずれも米国の映画。グーニーズ(1985)は、伝説の海賊が遺したお宝を探す、少年たちの冒険物語。日本でもブームとなり、ファミコン(任天堂・ファミリーコンピュータ)のゲームソフトにもなりました。スタンド・バイ・ミー(1986)も少年たちが主人公。好奇心から線路づたいに死体探しの旅に出るという、ひと夏の冒険が描かれています。映画を観たことはなくても同名の主題歌は知っている、という人も多いのでは。
※医科大:正式名称は金沢医科大学。所在地は内灘で、海を望む高台に建っています。1972年開学。

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